所有のデメリットと権利について

NO IMAGE

こんにちは。

ことは失うことのリスク明けましておめでとうございます。

年末に久しぶりに激しい飲み会をしたせいで、生活リズムがぐちゃぐちゃになりました。

深夜暇なので、久しぶりにブログを書きます。

持っていることは精神的に不自由。

忘年会で生活リズムも崩れましたが、もうひとつの不幸としてバックもなくしました。

僕は忘れ物が激しい方なので、飲み会には基本的に手ぶらで出掛けます。

しかし、その日はたまたまバッグを持っていたので、気を付けていたのですが、酔ったら、注意してもやっぱり無駄でした。

まあいつものことなので、「あーなくしたー」ぐらいの感想しかありませんでしたが、ショックはショックした。

この事件から考えたのですが、つくづく今の時代、荷物は要らないなと。

今、バックにパソコンが入っていたので、この記事もスマホで入力しています。

スマホで書いてみてもなんの不自由もありません。

バックの中にパソコンが入っていたのですが、数日スマホだけで生活していると正直もう要らないかなと思ってきています。

今はスマホひとつで何でもできてしまう時代と、色んな人が言っていますがここ数日で実感しました。

実際、物を持っていることという状態は不自由です。

僕の場合、飲み会では毎回忘れ物チェックをしなければいけません。

そうなると全力で飲み会を楽しめなくなります。

精神的に不自由な状態ですね。

一昔前にミニマリズムという言葉が流行りましたが、今はその心地よさが非常に共感できます。

物を持っていることは確かに豊かかもしれませんが、常に無くすことのリスクを考えてしまいます。

これは常に精神的に物のことを考えてしまい、自由な行動を縛られてしまいます。

勿体無いということの危うさ

さて、こう考えたときにこの話は物に限った話ではないなと感じます。

例えば、自分が何かの権利を持っているときにそれを使わないことは勿体無いと感じてしまいますよね?

確かに権利を持っていることは選択肢がその分増えることなので、自由な状態とも言えます。

しかし、権利を勿体無いと感じ、無理にその権利を使おうとすることは、不自由な状態とも言えます。

分かりやすいのは学歴ですね。

高学歴な人はある意味、優良企業へのチケットを手に入れた状態です。

それは就活において、端から見たら自由な状態です。

でも、学歴を使わなければ勿体無いと感じてしまい、好きな人生の選択がで着ない場合もあります。

これはある意味、不自由ですよね?

僕はパソコンを無くしたことにより、スマホの多機能性に気付くことが出来ました。

パソコンを持っているからと、色んな作業をパソコンで行っていましたが、無くなったことによってスマホの素晴らしさに気付くことができたのです。

皆さんも、勿体無いからという理由で何か行動が制限されたり、選択肢が狭まったりしていませんか?

所有権の危うさ

もうひとつ、この話につながる議論があります。

ちょっと話は飛びますが先日、ホップズのリヴァイアサンという本を読みました。

あの有名な万人の万人の対する闘争というセリフが出てくる本ですね。

内容を説明すると長くなるので、各自読んでください。

この本では人の権利について論じています。

上記の万人の万人の対する闘争というのは、基本的に人間は法などがないとケンカをしちゃうみたいな意味です。

まあ法律がなかったら、泥棒が増えちゃうみたいな話です。

だから法律が必要だし、法律が効果を発揮するためには、国の統治が必要だよねとホップズは主張しています。

この本の前提にあるのは所有という概念です。

人は個々に物を持っているから、奪い合うし、自分の物を守ろうとします。

つまり、万人の万人に対する闘争は所有から起きるわけですね。

さてそこで考えたいのが、最近では所有することをみんなをやめ始めているという現状です。

ミニマリズムもそうですが、シェアリングエコノミーやノマドワーカーなど、これらは人々が所有から脱却した結果と見ることができます。

所有からの脱却が始まった理由は資源が潤沢になったからですね。

今世の中は物で溢れ帰っています。

そうなると持ってなくてもいつでも手に入れられる状態になります。

こうして出てきた例として分かりやすいのは、シェアリングエコノミーですね。

家を好きなときに借りられたり、車を好きなときに借りられたりすることで、所有を辞められます。

先ほどもいった通り、持っていることは不自由さが付きまといます。

いつでも手に入れられるのであれば、持っていない状態は非常に幸せな状態です。

じゃあこのまま資源が潤沢になりまくったら、ホップズいう万人の万人に対する闘争という状態って起こらなくなりますよね?

昔は資源が有限だったので、奪い合いが生じました。

でも、資源が無限に近くなったとしたら、奪い合いは起こらないと思います。

そう考えたときに、僕らが当然のように考えている権利って必要なのか?という考えに行き着きました。

みんなが所有をやめたとしたら、所有権って要りませんよね?

ホップズが言っているように万人の万人に対する闘争は所有から始まります。

持っているから他人と比較し、奪い合うんですよね。

じゃあみんなが持つことをやめたとしたら、平和ですよね?

でも難しいのが、人は権利を剥奪されることをむちょくちょ嫌がります。

なぜなら、勿体無いと感じるから。

実際はもっと楽に生きれるのに、手放さないから不自由になってしまっている人って結構多いと思うんですよね。

でもこれから、もっと技術革新が進み資源が潤沢になったら、いつか権利を剥奪しなくてはいけなくなると思います。

資源が潤沢になったら権利を剥奪する必要はないかもそれませんが、権利があることによって不都合な世の中になる可能性はあります。

そんなときに勿体無いからという理由で、進歩を阻んでしまう人間にはなりたくないので、今のうちから所有からの脱却をしようと思った年末でした。

明けましておめでとうございます。