「〜すべき」という言い方は死語になる

「〜すべき」という言い方は死語になる

こんにちは!最近またお酒を飲む回数が増えてきている大学生ブロガーの(@obakasahara)カサハラです。

先日ホリエモンさんの「全ての教育は「洗脳」である」という本を読みました。

もともと僕は「イクスタ」という受験支援サービスに携わっていたこともあって、教育には興味があります。

特に小さい子供頃の教育はかなり大切だと思っていて、遺伝子的な原因もあるとは思いますが、その時の教育がその子の考え方や性格を決定づける原因だと思っています。

その教育に関してホリエモンさんの視点から語ってくれている本でした。

教育は洗脳である

タイトルでもある通り、ホリエモンさんはこの本を通して、「教育とは洗脳である」という主張をしています。

この本でも語っていますが、もともと学校というものの成り立ちを見てみると、国民が一致団結するために洗脳する機関だったことは事実だと思います。

戦争時や高度経済成長期においては、国が決めた方向に対して反抗せずに、正確に任務を忠実にこなす国民が求められていたので、そのための教育が行われました。

今は機械が代替してくれる

しかし、今の時代、教育によって作られていた「忠実で正確に任務をこなす事」は人間よりも機械の方が得意です。

人間なので、どうしてもエラーは生まれてしまいます。

機械の場合、そういったエラーは極限まで減らせます。

機械が今までの必要とされている仕事は代替してくれるので、従来の教育は意味のないものになっています。

では人間に求められることは?

では教育を考える上で大切なことが「今の人間に何が求められているか」ということです。

僕の意見は「何も求められなくなる」ということです。

つまり必要なもの、目的みたいなものはなくなるということですね。

高度経済成長期などはお金を稼ぐこと、家族を持つことなどある意味人生の目的は決められていました。

しかし、これは国にとって都合がいいから教育によって洗脳されてたのでしょう。

今は別にお金を稼ぐことも、家族を持つことも必須ではなくなってきています。

自分で目的を見つける必要がある

つまり今後大切なことは、自分で人生の目的を見つけることです。

世の中の常識や一般的に幸せなことではなく、自分の常識の中で幸せを見つけていく必要があると思います。

教育は機会を与える場になる

教育が必要か必要でないかと言われると僕は必要だと思います。

でも「〜べき論」を語るような教育はいりません。

教育で必要なのは、機会を与えるということです。

つまり、子供が好奇心を抱いた時に、その好奇心を止めることなく、実際に行動できる「場」を教育で与える必要があると思います。

それが「教育」かどうかはわかりませんが、「機会を与える場」は必要だと思います。

「すべき」という言葉は死語になる

これから「すべき」という言葉は死語になると思います。

ていうか死語になるべきです(矛盾してますがw)。

それぞれの「べき論」を語るのはいいと思いますが、強要するのはよくありません。

これからは「そういう意見もありだけど、やっぱり僕はこうあるべきだと思う」という風になっていくでしょう。

インターネットがきっかけ

このように人が自分の人生の目的に向かって生きれるようになったのはインターネットのおかげだとつくづく思います。

インターネットがあったからこそ、多様な価値観が表現され、普及しました。

今後はその価値観の根を絶やすことのない教育がされてくといいですね。

本面白かったので、ぜひ読んで見てください!

「全ての教育は「洗脳」である」

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